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3敗4敗の力士がひしめき合って賜杯争いを繰り広げる混沌の5月場所。期待の大関琴桜は 関脇・阿炎に敗れジエンドです。どうも昨日の相手で大関初挑戦となる湘南乃海戦で立ち合い琴櫻が右に変化すると、湘南乃海はそのまま前方へ突っ込んでしまい、前のめりに転がった。予想外の琴櫻の変化に館内が騒然となり、客席からはどよめきが沸き起こった。「お客さんドン引きや」「会場がざわついてる」「ざんねんだわ」とコメントが殺到。横綱に一番近いと思っていた力士だけに反応がヒドク避難され琴桜の祖父は現役時代「猛牛」の異名を取った横綱・琴桜“逃げ牛”では、しこ名が泣くというものだたようで。と・こき下ろされた。結局 小結・大の里が優勝したならあっさりと横綱逆転でしょう。しかし 最近プロの力士は大学横綱に簡単にヤラレテしまい どうなっているのか心配です。?
能代公園のツツジが見頃です。 高校時代の一服の場でした。
水俣病は環境庁発足の源のようです。
その本家との懇談会で一方の発言を遮るという無礼な姿勢は、会合そのものが茶番だということ。 声を聞く機会は一応は設けたという実績があれば良し、というお役所の発想が透けて見える。 大臣の一瞬の謝罪だけですませるのではなく、事故として原因の究明と事後の改善策を公表しないと終わらない話でしょう。伊藤環境相は選挙も近いのに、何て事をしてくれたのだと驚愕し、1週間も経ってから涙を流しても謝罪しなければ感じたのだろう。
この自民党政権は、業界団体、自民党が首長の地方公共団体、自民党に献金している各団体、外国に、国民から巻き上げた血税は配布するが、被害者団体、困窮している国民には、あ-だこ-だ言って配布しないのだ。日本国民はいずれ自分にも配ってくれると思ったいるのか、忍耐強く待っている。配るわけ無いだろう。岸田の言葉を聞けば分かるだろうよ。丁寧な説明とは、同じ説明を何回も繰り返すこと、説明責任とは、同じ説明を何回も繰り返し、最後はバカやろうと言って睨み返す事なのだ。日本人は本当に、自民党にこんなにバカにされても、最後は自民党に票を入れると思われてるから、こんなザマになるんです。一般的な日本人に自民党は金は配りません。そろそろ分かって下さいよ。
先日の報道番組で岸田の元側近議員のインタビューが出てましたそれによると、
①総理になって何をやりたいかっていうのがなかなかうかがいしれなかった。
②話は聞くが政策実行には移さない
③「聞く力」をアピールする岸田ノートなるものは付き合って15年一度も見たことがない。との事でした。
岸田は過去には安倍晋三、安倍派の支持が欲しいが為に又聞きでそれらの主張を代弁、いかにも持論の様に発言していた事もあったそうです。
中身が空っぽで周りや政権維持保身の為だけに発言したり動く政治家の様です。
人に染みついた優しさ思いやりの行動や言葉は、本来とっさの時に瞬時に表れるものです。例えば街を歩いていて、重い荷物をやっと引きずって横断歩道を渡ろうとしているお年寄りの方がいたとしたら、声をかけてお持ちしますよと瞬時に手を添えて等の、行動をされる方がいらっしゃる。国民の代表で選挙で選ばれ、地域のため国のため国民のために職務を遂行する使命を持った国会議員が、まして大臣ポストに就任している政治家が、目の前の水俣病被害者の方が、マイクを握って緊張しながらも丁寧に話をしている途中で、環境省の進行役が時間ですからとマイク音量を切り話を遮った瞬間に、何をしているのだ、と大臣として進行役に瞬時に注意を促すべきであろう。心と体に優しさとか思いやりとか、庶民の立場に寄り添い立てる心が染みついていない表れだ。そこに大臣としての権限を使い、話を切らず続けるようにその場で仕向ける事が大臣の権限行使の姿ではないのかね?
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