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2022年2月12日 (土)

急行 津軽

240pxjr_east_ed75_721_14pc_tsugaru_aomor 集団就職の季節になりました。秋田地方で夜行列車だった 急行津軽2号を知らない人はいないでしょう。 典型的な集団就職の形態として、農家の次男以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、主要都市の工場や商店などに就職するために、臨時列車に乗って旅立つ集団就職列車が有名でした。一説には1955年(昭和30年)から始まったとされ、東北からは上野駅までの就職列車が運行された。これには異説もあり、当時の労働省の指導で「集団就職列車」の名称の列車が運行された時期の起点である1963年(昭和38年)を起点と見ることもでき、逆に実態としては1954年(昭和29年)以前からそうした列車が運行されていたとする説もある集団就職列車は1954年(昭和29年)4月5日15時33分青森発上野行き臨時夜行列車から運行開始され、1975年(昭和50年)に運行終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。就職先は東京が最も多く、中でも上野駅のホームに降りる場合が多かったため、当時よく歌われた井沢八郎の『あゝ上野駅』がその情景を表しているとして有名である。上野駅などでは、中小企業経営者が駅に迎えに行き、就職者は就職先ごとにグループ分けされた。九州や沖縄県などの離島からは貨客船(フェリー)が運行された。 集団就職は、地方公共団体などが深く関わって行われており、集団就職列車には、そうした組織の職員が同乗していることもよくあった。秋田県では県職業安定課や各地の職業安定所の職員が列車に同乗していた。また1960年(昭和35年)から1970年(昭和45年)までは、毎年5月の連休前後に東京の日本青年館で関東地方に就職した集団就職者を対象とした激励大会を催し、県知事が出向いて挨拶するなどしていたようです。金の卵(きんのたまご) 日本の高度経済成長を支えた若年(中卒)労働者のことをいう。1948年(昭和23年)に新制中学が誕生した際に小学校卒業までであった義務教育の期間が中学校卒業までの9年間に延長された。この学制改革を契機に、戦後の「金の卵たる中卒者」が誕生した。戦前の高等小学校(基本は2年制)が1948年に新制中学として義務教育化されたことで、中学卒業後すぐに社会に出る若者が生まれ、彼らが金の卵と呼ばれた。後には、「ダイヤモンド」、「月の石」などとも言われたとされる。 高度経済成長を支えた「金の卵」であったが、学力が高いにもかかわらず家庭の経済的理由で全日制高校進学が困難となった若者も多く、公立中学校卒業後に企業で働きながら定時制高校・通信制高校に進学することも多かった。さらに大学の夜間学部・通信教育部に進学するものもいたが、逆に仕事はあくまでも単純労働であったことと、仕事と学業の両立が難しいことから、定時制高校のみならず、仕事も(15 - 22%の高確率で)やめるものもいた[14]。中卒・高卒の男女は大卒と比べ給与が低く、社宅など福利厚生の面でも大きな差があった。 1964年(昭和39年)に「金の卵」の言葉が流行語となった。

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