西郷さんの前
感動した 森 光子さんの朗読
昭和35年春 私たちの乗った集団就職列車が上野駅に到着したのはまだ雲が薄っすらと見える明け方でした。構内に響き渡る 上野 上野のアナウンスを聞き ああ憧れの東京に到着したんだなぁと実感しました。ホームに降りると嬉しい気持ちと裏腹に緊張感と不安感がこみ上げてきました。勤め先は機械で缶詰を製造する会社でした。社長さんの「君は青森だったね」「わたしも実は青森なんだよ」という言葉をきいて不安が少し和らいだのを覚えています。寮で私たちに与えられたのは大部屋の2段ベットの下の段 畳一畳分が東京での生活のすべてでした。今でも忘れられないのは到着したその日の夜のことです。ベットの上で持ってきた柳行李をほどいてみると中からせんべいと干し餅が出てきました。母が案じて忍ばせていたのです。弘前の駅で「体に気をつけてな 月に一度は手紙書いてね つらくなったらいつでも帰ってきなよ」そう言った母の顔が思い出されつらくなったら食べようとそのまま柳行李の中に戻したのを覚えています。それから3年が経ち仕事にも東京にも慣れてきたころ突然友人から電話がありました。久しぶりに仲間で集まろうと言うのです。集合場所は上野の西郷さんの前と決まりました。久々に見る友の顔そして上野駅が懐かしく飛び込んできました。私にとって上野駅は都会の中の故郷なのです。始めて井沢八郎さんの ああ 上野駅を聞いたときは弘前駅で何度も振り返ってみた母の顔や不安を胸に降り立った上野駅のホームそして情景が思い出されてきました。そして泣けてきました。
以来懐かしい友人と集まるたびにこの歌をみんなで唄っています。ああ 上野駅は集団就職で降り立った私達の人生そのものなのです。今日の日本は、「集団就職」で上京した「金の卵」と呼ばれる人々が礎となったのです。

この朗読は自分の人生とかぶり 泣かせます。
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