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夜中に蚊に刺されて目が覚めた。このにっくき蚊め!!!
早速 去年の古くなった蚊取り線香を取り出して夜中にいぶし始めたが敵の姿見えず 思い起こせば子供のころは蚊帳を吊って寝ていたものだがしっかり忘れていた。あの青臭いようなにおいとざらざらした感触は別世界にいるようなわくわく感があり嫌いじゃなかった。とても面白い句を見つけた。
「新しき蚊屋に寝るなり江戸の馬」江戸では馬にまで蚊帳をあてていたのかと驚いた。どんな意味なのか知りたい。
最近では飛行機を乗ることもないがこれだけ事故が続くとなんとなく嫌らしい。
航空事故の8割は離陸後の3分間と着陸前の8分間の「クリティカル・イレブン・ミニッツ (魔の11分)」と呼ばれる時間帯に集中している。だからパイロットはタッチアンドゴーつまり離着陸訓練に余念がない。しかし アメリカの国家運輸安全委員会の調査によれば航空機に乗って死亡する確率は0.0009%で自動車に乗って死亡する確率は0.03%なので、その33分の1以下の確率ということになる。これは8200年間毎日無作為に選んだ航空機に乗って一度事故に遭うか遭わないかという確率であるが誰もそう思っていない。昔 航空の華はパイロットで地上の華は管制官と言われた時代があったがムッチーは管制隊勤務10年経験したけどこの話で鼻がピクピクしたのは一度もなかった。
今朝から訃報が入りました。
秋田銘菓で能代では140年の伝統を持つ長栄堂 東雲羊羹の主人熊谷健さんが千の風になりました。健さんの愛称で親しまれガキの頃から縁のある人でした。ムッチーの親父は峰浜村畑谷出身で本家は秋田杉を運搬する農耕馬が数頭いましたがその世話をしていたのが健さんの親父さんでその影響もあり大学で獣医師の免許を取得しましたが人生ままならずナゼカ羊羹屋には養子に入ったようです。小さいころから自宅に遊びに来てくれたのでいろいろお世話になったしドラマもありました。そのためか帰省土産は東雲羊羹が定番になりました。市会議員も務め最後は議長で引退しましたがタメグチで話せる数少ない人だっただけに寂しくなります。深くご冥福をお祈りいたします。さよなら 健さん !
マレーシア航空2機に台湾、今度はアルジ
色々な要
甲子園 秋田大会決勝の能代松陽(能代商業+能代北高)は角館に1-3で負けた。
能代松陽選手の気迫や粘りに文句はなかったが敗因は監督の采配が大雑把で選手起用が後手になったことが挙げられる。工藤監督は3年前甲子園出場した時に較べメタボが相当進んでいるようで別人に見えた。楽して酒ばかり飲んでいるのか知らないが必死さが伝わって来なかったのが残念でした。甲子園初出場になる角館周辺部落では大騒ぎになって盛り上がっているようです。確か角館は 藤 あや子の里です。
気温が上がり夏らしくなったなぁと思ったら途端に水の事故です。
ロクに泳ぎもできない癖に海川の勉強もせず死ぬ度胸だけは人並み以上ですからとても適いません。ガキの頃は夏になれば日本海で遠泳したり米代川では親からもらった銭湯代を浮かし小遣いにするため石鹸もって汗を流し川は庭でした。海パンはなくバンドと日本手ぬぐいだけの簡易なものであったが今思えばとてもワイルドながら当時はそれが普通でした。それでも飛び込んだり潜ったりですから危険ながらも元気一杯でした。流石に最近では川遊びをするガキを見かけません。昔は水遊びが多かったせいか今では山好きです。部隊では毎年通常二泊三日で「夏は山登り 冬はアルペンスキー」と野外訓練が組まれ「アゴ アシ マクラ」がロハですからそれは楽しかった思い出ばかりです。一番印象に残っているのは5年連続して登った八ヶ岳でした。あのクソ暑い東京のド・真ん中から高原の涼しい八ヶ岳ですから生き返ったものです。山登りも普段走ってないと他人様の足を引っ張りますのでなんでも備えあれば憂いなしです。
オールスター戦で先発した藤浪晋太郎が156キロで大谷翔平は162キロですか?これだとまたアメリカに盗られそうです。日本のプロ野球で初めて電光掲示板で球速表示がされるようになったのは1980年4月5日のナゴヤ球場だそうです。ムッチーはその頃茨城県にある百里管制隊(スカイヤーズ )の草野球で現役エースでもあり土浦のバッテングセンターにスピードガンができたと聞き即試に行きましたがいくらリキんでもモガイテモ125キロが最高で二人の数字はとても人間業とは思われません。結局ムッチーのスピードはハエが止まる程度の球だった訳です。人類の進化にただただ驚くばかりです。
今日は「能代の花火」ですが大雨でカミナリまで鳴っています。
先ほど全国ニュースで床下浸水8件とありました。当然中止かと思ったら決行だそうです。誰が見ても無理な判断なのにお客様にお金返すのが嫌なのでしょう。困ったものです。しかしまだ花火特有のドーンという景気のいい音は聞こえてきません。こんな塩梅ですから能代の景気は右肩が下がったままなのです。結果の出せない指揮官は下がって欲しいものです。
夏は大好きなバーベキューの季節です。
誰でもアウトドア・ライフでは1番人気でしょう。ムッチーが現役最後の部隊入間では部隊先任の立場でもあったので若手隊員の慰労の為従軍慰安婦こそ準備できなかったが年3回「観桜会 ソーメン祭り 芋煮会」と冠つけてバーベキューを計画しました。都合の良いことに隊舎の横には100ヤードの芝生やグリーンがあり西武線の電車からも見えず最高の舞台でした。佐渡 百里 小松に隷属部隊があったので酒は「佐渡の鬼ごろし」百里から大洗の「アンコー」小松から「ブリ」が直送され質量とも最高の肴でした。主役の肉は同期から紹介受けたゲート前の肉屋さんでそれは美味しい肉でした。企画として「ビールの早飲み競争」「アカペラ」によるカラオケなど余興は飛び入りが多く何も心配いらずそれだけ盛り上がったのです。なんといってもバーベキューの魅力は炭火で風で煙まみれとなり退散したり目を付けていた肉がいつの間にかなくなっていたりする騒動が楽しいものです。招待客として上級部隊の司令官には必ず声をかけましたのでお陰様で昇任や特別昇給は上申枠通りで部隊始まって以来の出来高と聞いて人事担当としては鼻高々でした。今でも年末の「餅つき大会」にはゲート前のママやホステスさんが積極的に参加してくれてるようですので我ながらいい仕事したなぁと喜んでいます。士気の高さは勤務意欲につながりいい思い出になっています。
最近ではブログの話題も懐かしい話ばかりになりムッチーも残された時間が少ないのかなぁと嫌なことを考えてしまう今日この頃です。元気だったころは晩酌のビールと肴が楽しみだったがドクターストップになり何も楽しみがなくなりました。また 懐かしい話で恐縮すが人生で一番ビール呑んだ千歳時代にはアパートから歩いて5分くらいの所に朝日ビール園の直営店があり工場直送のビールの飲み放題とジンギスカンの焼き肉としゃぶしゃぶのセットで2,500円だったので何かあれば合言葉で「いつものところ」として通いました。特にゴルフの反省会では通常 大ジョッキ7~8杯が普通で話ばかりしていると先輩達から「お前ら 手が休んでいるぞとよく叱られたものです。」(笑)会話する時間もなくただ無心に食べたり呑んだりに使命感を持つ卑しい集団だったようです。今思えばこの時のビールが災いしたのかメタボと痛風は千歳時代のツケかもしれません。あ~あ 昔に戻りたいなぁ
痛風の発作のためしばらく散歩を休んでいましたが今日から再開です。 とても天気がよく暑いくらいだったのでいい汗がたくさん出て久しぶりに爽快な気分になりました。その足で能代温泉に直行しました。湯船にはどこかで見たことのある初老のジィ様が懐かしげに話しかけてくれましたがどうやら中学校の同級生と名乗りましたが全然思い出せません。「ムッチーさんですネ」「はい」「ブログを毎日楽しみにしています。」と言われ「ムツオ健在」のファンだと聞きなんと答えたらいいのやら「あっそ」と生返事するだけでした。世の中モノ好きな人もいるもんだなぁと感心しながらいったい誰なのか昔のアルバムが気になりました。
初戦からのブラジルの出来では地元優勝は危ういとは考えていましたがこんなに負けるとは想定外でした。ファンの為には歴史的大敗で諦めが付いた感じでしょうか? 台風接近中で昨日から天気は雨が続いており雷もなっています。 進路が気になりますが大きな台風ですから何にも影響なしとは行かないでしょう。 願いは一つ外れてくれ!
最近 日本ではカッコ悪い出来事が続いています。
「いじめられるのはどんなやつかと言えばね、ケンカは弱い、勉強はできない、おまけに金がないとなったら、これは無視だ。勉強ができない、ケンカも弱い、だけど金持ちの倅、これがいちばんヤラれる」と失言した。麻生大臣
「第一原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐり、最後は金目でしょ、」と失言した石原大臣
「女性議員にセクハラ野次を投げかけて最初は自分じゃないと言い張り党の幹部に説得されて謝罪した嘘つき中年親父」の鈴木章浩都議
「政務調査費欲しさに出張をでっちあげ会見でだらしなくわんわん泣きじゃくる中年親父」の野々村竜太郎県会議員
「グループリーグでは一勝もできずにどの面下げておめおめ帰ってきたのか?優勝とか大口叩いてたくせにほんと口ばっかの嘘つき野郎」のサッカー日本代表
いずれもカッコ悪く 情けねえ 期待はずれな政治家と日本代表の話題でした。
この度 航空自衛隊60周年行事で音楽隊から続々新曲が発表されているようです。
若いころは野球ばかりやっていましたが音楽も大好きでいずれ楽器でも覚えようと思っていましたが周りの環境はそんなに甘くなく結局はガツコ時代に教わった縦笛だけになりました。仕事柄日本全国に行く機会があり我ながら小さなオーケストラ ブラスバンド ライブハウスなんかにも良く通いました。チャンスがあったのに聞くだけで努力が足りなかったようです。特にピアノとサックスの音色にシビレます。現役時代人事を担当していましたが音楽隊の欠員補充は楽器の名前で取引され最初の頃はびっくりしました。(トランペット×1 中空音楽隊へ)演奏家は楽器と同じなのです。
航空自衛隊創設60周年を記念して、航空中央音楽隊所属の田中裕香士長が作曲。空自が
特に、七夕に関係ありませんが航空自衛隊創設60周年を記念して
音楽隊から行進曲「碧空」が発表されました。航空中央音楽隊所属の和田信2曹が作曲。勇壮かつ洗練された曲調を意識しトランペットのファンファーレで華やかさをドラムマーチで力強さを表現し併せて航空自衛隊の精強性を表現しています。
航空機もたくさん出てきます。
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