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2011年7月23日 (土)

弔辞

俳優、原田芳雄(享年71)の葬儀が青山葬儀所で営まれた。
生前の映画は何本か見ていたので顔は知っていたがプライベートは、ほとんど知らなかった。聞くところに寄れば気がよく後輩の面倒をみた男らしく影響力の強い信望の厚い人物だったようです。俳優座と言えば昔の六本木の防衛庁の傍だったので居酒屋や雀荘で幾度となく顔合わせることもあり何かと親しみを感じていました。昨日、
弔辞を捧げた盟友、石橋蓮司(69)は流石に役者やのうの感じで上手かった。
内容は「おい 芳雄 お前に向かって自分が弔辞を言う、こんな馬鹿げた、悪ふざけはあるだろうか。弔辞という文字も正確に書けなかったし、弔辞とは、故人の業績をたたえ人に伝えるとあった。いま、芳雄の業績なんか称えたくないし人に伝えなくていい。ただただ、ただただ、おまえが今ここにいてくれればいい。おまえが今ここにいて「これは冗談だ」と言ってほしい。それが芳雄、俺たち仲間に対しての最大の業績だよ」ほらみろ。破たんしてしまったじゃないか。おまえが悪い。じゃあ、こうしよう。これは、映画の一場面として、アドリブで、何か、しゃべってみる。芳雄、おまえと一緒にやった映画、全部うまくいったな。そして、最新作「大鹿村騒動記」、あの2週間、おまえが病魔と闘いながら作品に挑む姿は感動的だったし、凄味さえ感じたよ。あの映画の原案が芳雄だと聞いて、台本を読んだとき、正直おれにはよく分からなかった。なぜ芳雄がそこにこだわるのか。なぜ、そこまでこだわるのか。よく理解できなかった。でも、完成試写を見たとき、なにか、心が震えるのを感じたよ。今も感じている。」と、泣かせる名文であった。
ひとつ気になったのはTVの字幕では69才の石橋が71才で二つ先輩の芳雄をオイッとかお前目線で話す意味が不自然でならなかった。考えられるのは享年71とは仏になった人の勘定で実際は石橋と同級生であったかも知れない。また 
ムッチーがガキのころの昭和30年代は隣近所の先輩でも呼び捨てにしても平気だった時代を経験しているが役者の世界も同じなのかも知れないと勝手に解釈したがどうも解せなかった。こんな小さい事が気になるのは年のせいなのかも知れない。かなり前になるが水原弘と言う歌手を思い出した。原田芳雄に似たタイプだったと記憶している。  

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