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2011年3月 1日 (火)

大きな節目

3ヶ月の新隊員教育もアッという間に終わりになりました。
卒業1週間前に特技職を中隊長から直接辞令交付があり「2等空士 ○○○○は 第3術科学校 初級人事員課程に入校を命ずる」で福岡県遠賀郡の芦屋基地に行くことになりました。当時は新幹線がなく夜行列車の「急行霧島?」で24時間くらい汽車に乗ってケツが痛かった記憶があります。人生で初めての九州も違和感がなく秋田と暮らしも変わらず日本はどこで暮らしても同じだなあと思いました。
あの時 板垣退助の100円札は東北 北海道と九州がまだ使っていたのでそう思ったのかも知れません。この頃は体力より勉強が大切でこれから自分は人事を職業として生きる覚悟がありましたが法律用語ばかりでてくるので理解するのに時間ばかりかかり大変でした。とんでもない仕事を選んだと泣きが入りましたが何とかなるさと自分を諭しました。この世に楽な仕事なんかひとつもありません。
なんだかんだ文句いいながら2ヶ月の術科課程もアッという間に過ぎ 卒業1週間前に任地が決まりました。学生隊長から直接辞令交付され「2等空士 ○○○○は 中部航空方面隊司令部 人事部 人事班」で埼玉県入間基地に決定されました。ここは米軍のジョンソン基地と呼ばれていました。ちょうどベトナム戦争が真っ盛りで入間から横田基地まで定期バスで兵隊が通勤しており秋田の田舎から出てきたムッチーにはどう見ても外国でした。おまけに西武池袋線が基地の中を線路が走っていて驚きの連続でした。昭和44年は人生の大きな節目になりとても希望溢れるスタートでした。 いつかつづく

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