« 山崎のまくり勝負 | トップページ | 彼岸まで »

2010年3月 9日 (火)

ニラの思い出と茨城空港

Dscf5199

昭和47年9月から愛知県小牧市にある小牧管制隊勤務で人事業務を担当していました。管制官ではなかったが上級部隊に報告文書があり月1回必ず軍用機の離着陸データーを獲りに名古屋空港事務所まで足を運んでいました。
当時はハイジャックが多く管制塔と犯人の生々しい交信を2.3回聞いた懐かしい記憶があります。
丁度そのころ 同期より遅かったが昭和49年7月1日に3曹(下士官)に昇任しました。早速 山口県の防府市にある第1航空教育隊で初任空曹(下士官教育)の教育訓練を受けるために出発しました。
まだ新幹線が岡山駅止まりで特急「みどり?」に乗り継ぎ山口県の小郡駅で降りてから普通列車で防府駅に着き、それから周南バス30分でやっと部隊に到着しました。初めての場所なので
1日がかりでした。大変苦労しただけに今でも鮮明に覚えています。
3ヶ月間 毎日 戦闘教練 銃剣格闘 駆け足ばかりでしたが人生で一番体調のいい時期だったと思っています。卒業間近になり隊長から「転勤おめでとう次は百里だぁ!」「アチャッ-誰も希望しない陸の孤島!」です。
目の前が真っ暗になりました。これが百里基地勤務するまでのなにもない経緯なのです。荷物はチッキで送り石岡駅に着いたら同期が迎に来てくれてました。海軍道路なんていう勇ましい道を走っていると なんか強烈なニオイと涙が止まりません車の窓を締めてもたまりません。「なんじゃいこれ?」「これが茨城名産のニラよ。」どこまでも どこまでも 続くニラ畑でした。
当時タワーから眺める景色は筑波山とニラ畑ばかりで何もなかった百里ヶ原に
7年ほど勤務したが新空港ができるとは夢にも思わなかったムッチーでした。
定年後住みついた人は喜んでいることでしょう。今でも百里管制隊はムッチーにとって第2の故郷なのです。

« 山崎のまくり勝負 | トップページ | 彼岸まで »

コメント

懐かしいお話ありがとう・・・小生もその頃百里基地の周りをうろうろ建機のセールスを
していました。当時は機械が売れなくて毎日泣いておりました。ムッチーが言う通り、あの辺は酷く寂しい所で夜には真っ暗になりました。道路も分かりにくくよく間違って基地の入り口にぶつかったもんです。当時近くの玉造町に大形やというドライブインがあって肉豆腐定食を食べるのが楽しみでした。今でもこの辺には玉造GC霞ケ浦CCがあるのでよく出かけます。

マイケルマムシ 殿

久し振りですね 元気でしたか昨日まで雪がなく春が来たと思ったら今朝起きたらドカ雪です。暑さ寒さも彼岸までの話がありますがそんな感じです。今年は還暦なので同級会もしなければと思うけど気合いがはいりません。身体には注意して下さい。 ムツオ 

14日に田代と佐々木光男と取手の河川敷でGolfをします。今年の5月連休はなんとしてでも二人を能代CCに連れて行きたいと思ってます。元気出して頑張りましょう~

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 山崎のまくり勝負 | トップページ | 彼岸まで »